「それ、サムアルトマンに言えるのかよ」を合言葉にしたらAI推進が加速した話

寺倉 大史

寺倉 大史

Director

高い目標を掲げてチームでAIを推進しようとすると、どこかで「でも、それはできないんじゃないですか」という声が出てくることが多い。

私のチームでも去年の5月頃、まさにそれがありました。

非エンジニアが5人でゴリゴリAIを使っていこうとなった直後の話です。方向性は揃ってる。勢いもある。

なのに、何かトライしようとすると「AIはこう使うべき」「自動化なんてできない」という声が出てきました。

こういう声は悪いわけじゃない。慎重さは大切だし、ロジックも一見もっともらしい。

ただ、私がすでにできてると知ってることでも生じていたので、「べき論」「否定」が活用範囲を狭めていると感じていました。

気になったのは、それらの発言が自分の視野の中での判断になっていたこと。

世界のAIがどこまで来てるかではなく、自分の経験と知識の範囲で「すべき/できない」が決まっていました。

その経験から生まれた、視野の広げ方の話と、そのために私が作った合言葉の話を書きたいと思います。

「できない」「べき論」の多くは、自分の視野の中での判断になってる

例えば、LP(ランディングページ)のワイヤーフレーム作成をどこまで自動化できるか、という話がありました。

LPのワイヤーは決まった形がない。

どのチャネルから、どんなターゲットに、どんな状態に対して、どの成果に向けて、どんな商材で...という要素の組み合わせで変わってきます。

これを自動化するには?という問いに、「90%以上のクオリティとかを自動化は無理」「何度も会話しながら作るべき」という声が出ました。

ただ私には、できると思う根拠がありました。

ターゲット・商材・施策・狙いなどのデータを整え、過去のLP制作プロセスをプロセスごとにプロンプトとして設計して、プロンプトチェーンで自動化する。

つまりは、AIにこれまで行ってきたことを徹底的に再現させればいい。

各プロセスの出力を可視化して、どこがズレてるか改善できるようにする。その設計があれば、試行錯誤をすれば90-95点レベルで自動化できると判断していました。

「できない」も「べき論」も、その人が試したことのある範囲内での判断になりがちだと思います。それは能力の問題じゃない。

試したことがなければ、見えないのは当然のことです。

「できない」という判断への違和感、その正体

これは個人の問題じゃないと考えています。「できない」「べき論」が続く理由は、大きく2つあると思っています。

ひとつは、まだ試したことがないことを「できない」「こうすべき」と決めつけていること。LPの自動化の話でも、実際に設計したことがなければ「無理」「何度も会話しながら作るべき」という判断になるのは自然なことです。

もうひとつは、以前の「できない」「こうすべき」をアップデートしないまま使い続けていること。

日常業務の中にいると、自分の責任領域の最大化を考えるのが仕事です。AIの最新情報を追い続けるインセンティブが自然に生まれる環境かというと、必ずしもそうじゃない。

特に非エンジニアの場合は、自分の専門領域とAIの接点を意識的に探しにいかないと、「AIで何ができるか」のイメージが更新されにくい。

でも、世界のスピードはそれを待ってくれない。

私のチームで使っていたCursorは毎日アップデートしていました。AnthropicもOpenAIもGoogleも、すごいプロダクトやアップデートを次々と出していた。

昨日の「できない」が今日できることになっているのが普通の世界でした。

だから、以前の経験をベースにした「できない」は、あっという間に崩れる。ただ、その崩れ方に気づかないと、古い「できない」がそのまま判断基準として残り続けます。

それがAI推進のブレーキになっていきます。

誰かが悪いという話ではなく、構造的に起きることだと私は感じています。

「それ、サムアルトマンに言えるのかよ」という合言葉を作った

視野を強制的に広げるための合言葉が必要だと思いました。

「最新情報を追いましょう」「もっと視野を広げましょう」という正論では、人は動かないと思っています。正論vs正論の議論になるか、「そうですね」で終わるか、どちらかになりやすい。

そこで出てきたのが、サムアルトマンを基準にするという発想でした。

サムアルトマンはOpenAIのCEOで、チームの全員が知っていました。何となく素人目には世界で一番AIの可能性を信じて、一番の情報を持って動いている人物として映っていました。

「できない」や「べき論」が出たときに、「それ、サムアルトマンに言えるの?」と聞いてみました。

「言えないっすね笑」という反応でした。それで十分でした。

責めてるわけでも否定してるわけでもない。ただ、「自分の経験内での判断」と「世界最前線で動いている人の視点」の差を、笑いが生まれる形で相対化できました。

この合言葉の良さは、正論と正論がぶつかる構図にならないことだと思います。

ロジックで潰しにいくのではなく、「そもそも判断の基準が違うかもしれない」という問いを立てるだけ。それだけで、自分の視野の限界に気づきやすくなります。

実際に何が変わったか

この合言葉が一番効いた場面が、コーポレートサイトのリニューアルプロジェクトでした。

従来WordPressを使っていたのを、担当者の経験がないヘッドレスCMSへ移行することを前提としたプロジェクト。調査や設計から実装まで含めると、従来の感覚では4ヶ月かかる規模でした。

チームに「どれくらいでできる?」と聞いたら、3ヶ月という答えが返ってきました。

「それ、サムアルトマンの前で言えんのかよ(笑)」と聞いたら、「言えないです(笑)」となりました。

だから2週間という目標を設定しました。えいやで、ただし、失敗してもいい前提で、本気で一度トライしようと。実際に完成しました。チーム一同「できんじゃん...」という感覚になれました。

最初から「できない」を前提にしないこと。あらゆる情報を調べて、AIと対話して発見して、とにかくトライしてみる。

失敗したら、それはチームの学習データになります。そういう姿勢で動けるようになってきたと思います。

今はそのプロジェクトのスピード感よりさらに速く、クオリティも上がってるステージにいます。

それは「どうすればできるか」という問いをゼロベースで立て直す癖が積み重なってきた結果だと感じています。

過去の経験ではなく、今の状況から考え直す。それが習慣になってきています。

まとめ

「できない」も「べき論」も、その人の視野の中での判断になりがちだと私は思っています。それは個人の能力の問題ではなく、構造的に起きること。

特にAIの領域では、世界のスピードと自分の経験の差が広がりやすい。

「それ、サムアルトマンに言えるのかよ」は、そのギャップを笑いで相対化する合言葉として機能しています。(言い方次第でパワハラになるので気をつけて)

正論でぶつかるより、視点の基準を変えてみるだけで、場の雰囲気が変わることがあります。

もちろん、全ての「できない」が間違いだとは思いません。慎重な判断が正しいケースもあります。

ただ、「できない」と言いたくなったとき、一度だけ「世界の最前線にいる人に言えるか?」と問いかけてみると、何か変わるかもしれない。

そういう選択肢があることを知っていると、動き方が変わると私は考えています。

この記事は、社内の知見や実績データを活用し、ユーザーにとって利便性の高いコンテンツを生み出すよう設計されたAIを活用して制作し、マーケターがレビュー・監修した後に公開しています。KAAANは、AIと人の共創によって高品質なコンテンツを効率的に制作しています。

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寺倉 大史

寺倉 大史

Director

業界歴10年以上。マーケティング全体の戦略、プランニング、PM、組織開発など幅広く累計100社以上を支援。藍染職人、株式会社LIG執行役員を経て、デジタルマーケティングカンパニー『MOLTS』を設立。

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